行政書士 大沢 祐太郎
はじめまして、私、行政書士の大沢祐太郎と申します。
この度は、弊所のホームページをご覧いただきまして、ありがとうございました。
早速ですが、私の、プロフィールをご案内いたします。
プロフィール
「キャッチコピー」
- まさに、むちうち対応のプロ
- 交通事故専門の行政書士にしかできない後遺障害等級申請
趣味
- 読書:
自分とは違う人生や考え方を感じることができるのが一番の魅力です。
私は、集中力が高いので、現在の集中力のレベルを図るのにも読書を使います。 - 散歩:
これが一番の気分転換です。川崎市にもまだまだ歩いたことがない道があるはずで、知らなかった道を見つけるのも楽しみの一つです。
好きな食べ物
なめこ汁です。
子供のころの家族旅行で、たまたま入ったレストランのメニューになめこ汁が単品であったため、いの一番に注文したところ、家族はおろか、店員さんにも笑われました。
好きなこと
ボールペン集め(いまはパーカーとカランダッシュが好きです)
好きな旅行先
京都府・奈良県(特に明日香村)
奈良県明日香村はキトラ古墳などたくさんの古墳があって、本当に魅力的なエリアです。
吉野ヶ里遺跡に行くのが次の目標です。
私は、茨城県の大洗町に生まれました。海が見える、当然に魚介類が豊富で美味しい街です。
子供時代の話
幼少期から小学2年生まで大洗町で過ごして、東海村に引っ越しました。当時の記憶では、とても不安な気持ちがあったことを記憶しています。
この、誰も知らない街に飛び込み、順応できたというのが、起業家としての第一歩だったと感じることもあります。
学生時代の話
中高校学生時代
中学と高校は地元の公立に通いました。
中学校の時の思い出は、「校内のマラソン大会で同級生には絶対に負けない」という目標を掲げ、見事に3年間1位を取りました。
高校生の時は、中学校時代の“最大限の思春期”や部活、受験、マラソン校内同学年内では3年間1位の目標と達成、などの張り詰めた精神状態から解放されて、学生生活も部活(サッカー部)の活動も、サボって自宅でゲームなどをして、気の抜けた生活をしていたように思います。
高校では、成績だけはとっていたので、指定校推薦を獲得することができ、ほぼ?無試験で、国士舘大学法学部法律学科に入学し、僕の神奈川県でのストーリが始まります。
大学時代
大学入学後は、一通り、大学生らしいことをしてみようと思い、サッカー・フットサルサークルを見学しました。
(実は、国士館大学のサッカー部に入りたかったのですが、セレクションに落ちました・・・。)
今でも忘れないのは、そのサークルのミニゲームで、そのサークルのルール上、
「ハーフウェイラインを超えないとシュートを打ってはいけない」というのがあったらしく、それを知らなかった私は、ゴールが見えたので、自陣からシュートを打って決めてしまいました。
あの時の周りの人たちの冷めた目や流れる静かな空気はいまでも忘れません。
でも、サッカーはゴールが見えたらどこからでもシュートを打つべきだと思います。
そして、僕はそういう必要のない小さな常識が嫌いです。
こんな出来事もあって、サークルもサッカーもやめようと思い、せっかく法学部に入ったのであれば、法律を本気で勉強してみようと思い、大学の授業が終わったら、都内の資格予備校に通い、司法書士を目指しました。
2~3年司法書士試験の勉強をしましたが、これが本当に難しかったです。
とある模擬試験会場でベテラン受験生の話を聞きましたが、なんと、7年間も勉強しても合格を手中に収めることができていないようで、これは僕には無理だな、ということで、行政書士に切り替えました。
就職してからの話
大学4年時に受けた行政書士試験は不合格でした。
その間、ろくに就職活動もしなかったです。今も思えば、この私の状況を両親はどう思っていたのか…。
大学は無事に4年間で卒業をしましたが、親にも理解をいただき、1年間行政書士試験の受験浪人をさせてもらいました。ただ、金額は少なくてもアルバイトはしなさいという両親の指導のもと、自宅近くの郵便局で朝6時~9時までの仕分けのアルバイトをしました。
残りの時間は、本当に勉強です。ひたすらに勉強でした。
しかし、このアルバイトが毎日の気分転換になったように思います。勉強しかない毎日のスケジュールだったとしたら、と今思えば本当に危険だったように思います。
日々の自らの努力と家族の温かさや優しさもあり、無事に23歳の時に、行政書士試験に合格をしました。
現職に就いてからの話
行政書士試験合格後は、新宿区の行政書士事務所、杉並区の行政書士事務所、弁護士法人にて修業をいたしました。
僕は行政書士登録当初から、交通事故業務をやると決めていました。
そのことから、当時から損保代理店などに飛び込みで営業に行ったり、ダイレクトメールを送りリアクションがあった企業に訪問をしたりしていました。
でも、仕事に結びつかない毎日が続きました。
「交通事故業務はニーズがない?僕の存在価値はない?」と思ったりもしました。
そこで、どうせ仕事がなくて、泣く泣く茨城県の実家に逃げ帰るなら、思い出作りをしてみようと思い、
- 交通事故業務を扱う行政書士を嫌いであろう弁護士に「直筆手紙」で“あえて”営業をかけてみる
- 行政書士界の大物に直筆手紙を送って相談に乗ってもらう
の2つをやりました。直筆がポイントです。
弁護士への「直筆手紙」営業はあたりました。
弁護士は示談交渉、調停、訴訟が主戦場であり、交通事故問題の根幹である自賠責保険の後遺障害等級申請は苦手としている弁護士が意外にも多かったのに驚きでした。
加えて、「頚椎捻挫(むちうち)」案件は多いのに、その対応には苦慮していたようです。
つらいこともありましたが、「ニーズを見つける」、「創り出す」ということを学び、そして感じることができ、自分でも感動に近い感覚を覚えました。
また、行政書士界の大物への直筆手紙もヒットしました。
手紙を送った次の日には同封した私の名刺の連絡先にお電話いただき、お会いいただけることになりました。
そこで大物先生曰く「業務・営業先のターゲットとしては間違っていない。もう少し頑張ればいろいろ動き始める」と予言めいたことをおっしゃられて、実際その通りになり、多くのことが動き始めました。
大物先生とお会いした後の、すぐのタイミングで営業をかけた弁護士法人が、交通事故部門を立ち上げるということでお誘いいただき、弁護士法人に入社しました。
ここの弁護士法人では、たくさんのことを学びました。
お客様とのアポイントの取り方、受任の仕方、標準より高く報酬設定をしても納得させる提案力と説得力、クレーム処理までたくさんのことも学びました。
しかし、入社して4ヶ月で実質クビになりました。
交通事故案件は、受任から報酬回収まで比較的時間がかかりますから、この点の共通認識が足りませんでした。
ただ、この点は、仕方なかったと感じています。
その倍以上、多くを学びました。クビの経験もできて、本当によかったです。
やはり、厳しい世界である、ということも身をもって学びました。
今の仕事の話
クビになった後、さてどうしたものか。
そこで、両親にも相談し、当時、私は26歳だったので、失敗しても取り返せるだろうということで、自分の事務所を創ることにしました。
創業をするなら、
- 徹底的にやらないことを決める
- 徹底的にこだわる
ことに集中をいたしました。
弁護士法人に勤務した経験から、交通事故案件にはどんな悩みが多いかをチェックしていました。
そこで、多いけど、救われていない顧客層として、「追突事故」と「むちうち」がキーワードでした。
交通事故態様で圧倒的に多いのは、追突事故。そして、追突事故で怪我するのは「むちうち」です。でも、むちうちは後遺障害等級がとりにくいがために、弁護士が受任してもご依頼者にも弁護士にも経済的メリットがないため、受けづらい…
でも、後遺障害等級14級でもあれば、話が180°変わります。
だったら、僕が、むちうちで14級を勝ち取ってご依頼者に1回目喜んでもらおう、
そして、等級認定後は、弁護士に引き継いで、14級認定分の損害賠償金を勝ち取って、ご依頼者に2回目喜んでもらおう、思いました。
そして、2011年6月1日、
「交通事故による“むちうち”しかやらない行政書士事務所」
こんな強烈なメッセージで生まれた事務所が、行政書士事務所インシデントとなります。
行政書士事務所インシデントの強み
弊所の強みは、なんといっても、医師面談から逃げないことだと思います。
医師面談による医師との調整作業は、私の先輩行政書士も苦手としているようですが、私は苦手意識がありません。
したがって、失敗を恐れずどんどん医師面談を実施して医師の協力を得ていきます。
お客様からは、「もっと早く会いたかった」といわれます。
これは、弊所に相談・依頼にくる以前に、巷の美辞麗句で作られたホームページの言葉をを鵜呑みにして到底交通事故に強くない専門家に依頼したけど、
- ここまでなにをしてくれたのか?
- これからどうなるのか?
が全くわからないから、弊所にセカンドオピニオンとして相談にきたというお客様の言葉です。
ここでご相談者に気付いてほしいことは、交通事故案件、特にむちうち案件のお客様対応って「かなりプロ」じゃないと難しい、ということです。
そこで、「依頼したけどなにもしてくれなかった」を解決すべく、
弊所は創業当初から、「交通事故で困ったらまず行政書士に相談する」をスタンダードにすることを目標にし、日々、奔走しております。
私が、仕事に当たる際に心がけていることは、「当たり前のことを当たり前にやること」、です。
- ご依頼者と会ったら、まずは挨拶をする
- 仕事をお受けしたら、とにかくやる、時にはただただやる
- ご依頼者からの報酬は大切にする
- ミスをしたら正直に謝る
- 助けてもらったりしたら「ありがとう」を心から言う
仕事の成果はとても大事ですが、こういったことがお互い信頼関係を持って、等級認定に向けて一緒に闘うためには必要だと考えます。
私のメッセージとしては、「時間は待ってくれない」ということです。
弊所のご相談者の中にも、せっかく交通事故直後に弊所に相談をしたのにも関わらず、検討期間が長すぎたばかりに、相手方損保会社から治療費を打ち切られる、医師は協力してくれなくなった、そのため後遺障害診断書ももらえない、後遺障害等級の申請さえできなくなってしまった。
でも、むちうち症状は残る…という相談者が意外にも多くいらっしゃいます。
自賠責保険の後遺障害等級の認定を勝ち取ることは、簡単ではありません。
早期に、適切な仕込みをしていかなければなりません。
時間は待ってくれません。